僕が日頃からお世話になっているやんちゃクラブでやんちゃさんがとても含蓄のある話をしていた
宿題を完璧にやって
出してよくできたねって言って褒められ
るっていうのはごくごく
短い視点でしかなくてすごい短期的な目標
でしかないからそうじゃなく
てもっと長い目で見た時時に年単位先を見
た時には宿題とにかく
ところまでやって出してで先生に添削して
もらって直してで自分の実力が上が
るっていう(後略)
引用はYoutubeの文字起こし
恥ずかしい話、私が「宿題を完璧にやらないこと」大事さに気づいたのは20代後半だったと思う
大学院で論文を書く作業を繰り返しているうち、どうやったらもっと論文がたくさんパブリッシュできるようになるんだろう?と考えていたら上と同じ結論に至った
どうせ一発でアクセプトされることなんてないんだから、ある程度かけた状態で他人に見せて直しながら原稿を完成に近づけて行くのが結局最短ルートだということだ
それまでは、自分でじっくりと完璧な状態まで仕上げて、他人から何も言われない状態にして論文を出すのが最短ルートだと思っていた
つまり、私も例に漏れず完璧な状態で宿題を提出したがる子供だった
しかし私が20代後半で気づいたのは、答えのないものほど、できるだけ早く人に見せた方がいい、ということだった
とはいえ宿題でPCDAを回すというのはなかなか難しいのでは、とも思う
というのも学校の宿題というのはそれが評価にも使われるものだからだ
本来宿題というのは、間違えてそこから学習すればいいはずのものなのだが、当然ながらクオリティの高い宿題を提出してきた子どもに対しては、学習意欲が高いとして内申点上有利になってしまうのは否めない
本来は本番の高校入試なり大学入試で結果が出せればいいと思うのだが、場合によってはこの内申点というのが入試にも影響したりするのだからややこしい
つまり、学校ではわざと何が本番で何が準備なのかが分かりにくいようになっていて、常在戦場ではないけれど、常に本番のように物事に対処することが美徳とされている
それは子供としては完璧な状態で宿題を提出せざるを得ないようなぁ、と同情する私だった